飛田新地の慰霊碑は誰を慰霊したものなのか

飛田新地という場所は、大正時代から存在し、とても長い歴史の中でさまざまな人たちの支えとなり、現在の時代にもその姿を残しています。

飛田新地を訪れる90%以上の人たちが、飛田新地内での本番行為を目的とする男性で、残りの人物は、飛田新地内の料亭で働く従業員たち、そしてたまたま通りかかった一般客です。

なので飛田新地内にいるほとんどの人が、女性目当てで来ているのです。

「今日はどんな可愛い子がいるのだろう」「初めて来たけど、すごく可愛い子が多いなー」「童貞だけど、今日こそ童貞を捨ててやる!」などと思っている人しかいないでしょう。

なので飛田新地内に慰霊碑があることなどほとんどの人は知りません。

そして飛田新地内で働いている女性も、慰霊碑の存在というのはほとんどの女性が知らないでしょう。

しかしちゃんと存在するのです。この慰霊碑は飛田新地から見て、阿倍野側の場所に建てられており、周囲は金網で遮られた場所にあります。

上には高速道路が通っており、この慰霊碑は写真も多く出回っているので、写真でも確認できるようになっています。

そしてその隣には慈母観音もあります。東京の吉原にも淨閑寺という場所があるようですが、大体の意味は同じで、何らかの人物たちに対して作られたものになっている。今でも
お供えものや、献花などもあり、地元民から一目置かれている存在になっているようです。

この慰霊碑は誰を慰霊したものなのか?

さて慰霊碑の存在が分かったところで、この慰霊碑は何のために存在しているのでしょうか。

また誰を対象に慰霊しているのでしょうか。

これは飛田新地内で働いていた人々を慰霊している慰霊碑になっています。

この慰霊碑は「慰霊碑は、いろいろな事情により飛田遊廓で働き、居住をしていた多くの男女 (遊女) の方々が様々な事情や世間の風評で、遊郭外に移住することも ままならず亡くなられた霊が安らかなれと願い建てられたもの」と記されており、飛田新地で働いていた女性だけでなく、その女性のサポートなどをしていた男性従業員なども対象にしています。

そして慈母観音に関しましては「慈母観音は、地域に貢献されながらも、身内にも看取られないまま亡くなられた多くの遊女達の霊を供養し、彼女たちの苦労を決して無為にしないように」とされており、若干意味合いは異なりますが、飛田新地に関わった人を慰霊するたまに作られたものであることには間違いないですね。

お金のために、生活のために、子供のためになどさまざまな事情で飛田新地に足を踏み入れた人が多いと思います。

そして結婚して辞めていく人、お金がたまったからやめていく人、嫌になって投げ出す人など多くの人がいましたが、中には飛田新地内で、短い生涯を終えてしまった人もいるでしょう。

その人たちを供養するために、この慰霊碑が建てられたのです。

これからの飛田新地のために

この慰霊碑や義母観音は飛田社会福祉協議会が建てたもので、地域からも一目置かれている事が分かります。

これからも飛田新地はさまざまな人たちを支えていくことでしょう。

飛田新地ではさまざまな人たちが、働き、そして巣立っていきました。それほど長く深い歴史を持っているから慰霊碑が建てられたのでしょう。

現在の飛田新地は暴力団との関係もなくし、昔のように無理やり働かせたり、女性を商売道具としか見ていなかった時代とは異なってきています。

女性を第一に考え、そしてお客のニーズに答えるために、最上級の女性を用意するようになってきました。

これからの、飛田新地の更なる発展をこの慰霊碑、義母観音は見守り続けていくでしょう。