飛田新地や五大新地に身売りされた女の子たちの事件

飛田新地の歴史

関西地方では主に5つの「新地」と呼ばれている場所があります。

そのため、まとめて5大新地と言われることがあります。

その中でも新地といえば、「飛田新地」と言われるくらい飛田新地は有名です。他の新地とは規模が明らかに異なるので、お客さんの入りよう、女性の数などは群を抜いています。飛田新地の始まりは1916年に難波新地が全焼したことろに建てられた色街です。

そのまま戦後には赤線、俗に言う売春街となり、そのまま営業を続けていました。

そして1958年の売春防止法の施行後に、料亭としての営業ということにして、現在の姿を保っています。

料亭にした理由は、料亭に来た男性客が、料亭で勤務している女性と、自由恋愛し、本番行為をしているという体にするためで、営業内容は、創立当初から変わっていないサービスになっている。1920年頃には店舗数は100件ほどでしたが、昭和初期には200件となり、現在でも160件から200件ほどの店舗数があると言われています。

そして時代の流れとともに、女性の質や年齢で通りが別れてきて、今では若い女性がいる通りは「青春通り」「メイン通り」と呼ばれ、年齢が高い、少しルックスの質が落ちる女性がいる通りは「妖怪通り」と呼ばれるようになってきています。

通りなどで名称が変わるのは、飛田新地だけで、他の新地は規模も小さくなっているので、このようにランク付けはされていないです。

借金で身売りされるのか?

映画やドラマなどで、借金を抱えた女性が、風俗などに身売りされるというシーンがありますが、このようなことは飛田新地などでもあったことなのでしょうか?もちろん無いとは言いませんが、なかなかこのような情報は表には出てきづらく、ほとんど情報がありません。

そして報道やドラマなどは大きく表現することがほとんどなので、実際に身売りを共用された女性というのは少ないのではないでしょうか。風俗業界に身売りされる女性というのは、ある程度のルックスとスタイルが必要になってきます。ましてや飛田新地などではルックスが命です。

誰でも身売りで、風俗に売り飛ばされるわけではありません。身売りというわけではありませんが、小額の借金があり、自ら飛田新地や他の新地で働く女性はいますが、あまり身売りという事件は少ないと思います。

現在の飛田新地、他の新地

飛田新地や他の新地では、このように本番行為が行われている訳ですから、実際に身売りや借金のためだなどとマイナスイメージがとても多い業界です。

しかしそんなことでは訳アリの女性ばっかり集まっていることになり、お客もなかなか寄り付かなくなってしまいます。

暴力団やヤクザなど怖い集団、組織が関わっていると思われてしまえば、客足は遠のくばかりでしょう。しかし実際に飛田新地に足を運んでみると、かなりの男性客でにぎわっています。

もちろん客層もさまざまで、大学生のような若い青年から、サラリーマン、管理職くらいの男性など一般人が多いです。

これは飛田新地がクリーンな場所という認識があるからでしょう。身売りなどは一切行われていません。

実際飛田新地などで働く女性たちの動機とはどういったものなのでしょうか。それはお小遣いを稼ぐ感覚で働いている人が多いです。

そして働く人というのはほぼスカウトになります。可愛い女性でしか、特に飛田新地では生き残れませんので、身売りされたというわけではありません。今の時代は、逆に「うちで働いてくれませんか?」というスタンスになっているのです。

飛田新地だけでなく、他の新地でも身売りなどは行われていいないところが多いです。このように現在の飛田新地などの新地はとてもクリーンな場所になっています。